2011年04月13日

天赦園の特徴

P1000488.JPG本園は樹齢300年を超える古木に囲まれ深山幽谷の趣があります。その巨大な古木の木々は外部を遮蔽し、本園は宇和島の街中に在りながら、独立した静寂の空間を造り出しています。
自然と日本庭園が見事に融合した、やすらぎの空間となっています。
posted by 天赦園管理人 at 10:56| プロフィール

2011年04月11日

天赦園の様式

DSC03300.JPG国指定 「名勝」 天赦園
(国指定の重要文化財)

【様式】 
池泉廻遊式庭園
(池を廻りながら庭園を楽しむ様式です。)

【面積】 
11240u
(内 池面積3355u)

【石組】 
池護岸や東南部の石組には陰陽石の扱いが見受けられ、三尊石組、立石と平天石の組合せ等心を楽しませるものがあります。園南部には枯流石組があり、その両岸には「臥牛石」「虎吠石」等が守護石としてそびえ、荘厳な竹林を背景に静かな佇まいをみせています。
posted by 天赦園管理人 at 18:09| プロフィール

天赦園の沿革

DSC03305 - コピー.JPG【設立者】 
宇和島藩七代藩主 
伊達宗紀

【設立】 
1866年(慶応2年)

【設立の所以】 
七代藩主 伊達宗紀が退隠の場として設立

【園名の由来】 
伊達宗紀が退隠するにあたり、その心境を伊達政宗の退隠時の心境に重ね合わせ、退隠のとき政宗が詠んだ漢詩から引用し、天赦園と命名しました。
馬上少年過  世平白髪多  残軀  不楽是如何
 (馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残軀は天の赦す所 楽しまずんば是を如何せん)

設立者である伊達宗紀は、退隠の後も八代藩主 伊達宗城、九代藩主 伊達宗徳の背後より真の実力者として国事に励み、維新四賢公の一人と云われた伊達宗城をして、後顧の憂いなく維新の大業に参画せしめました。
また、本園では西郷隆盛、大村益次郎、高野長英等勤王の志士との会見が行われ、幕末〜明治に及ぶ宇和島藩の国事斡旋の源を発したところでもあります。
posted by 天赦園管理人 at 17:54| プロフィール