2011年04月11日

天赦園の沿革

DSC03305 - コピー.JPG【設立者】 
宇和島藩七代藩主 
伊達宗紀

【設立】 
1866年(慶応2年)

【設立の所以】 
七代藩主 伊達宗紀が退隠の場として設立

【園名の由来】 
伊達宗紀が退隠するにあたり、その心境を伊達政宗の退隠時の心境に重ね合わせ、退隠のとき政宗が詠んだ漢詩から引用し、天赦園と命名しました。
馬上少年過  世平白髪多  残軀  不楽是如何
 (馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残軀は天の赦す所 楽しまずんば是を如何せん)

設立者である伊達宗紀は、退隠の後も八代藩主 伊達宗城、九代藩主 伊達宗徳の背後より真の実力者として国事に励み、維新四賢公の一人と云われた伊達宗城をして、後顧の憂いなく維新の大業に参画せしめました。
また、本園では西郷隆盛、大村益次郎、高野長英等勤王の志士との会見が行われ、幕末〜明治に及ぶ宇和島藩の国事斡旋の源を発したところでもあります。
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posted by 天赦園管理人 at 17:54| プロフィール